「外国から来たお宅のクリスマス」と「モミの木がやってきた」: クリスマスの思い出

Hello, it’s getting colder and colder!  How are you?

みなさんは子どもの頃、どんなクリスマスを過ごしましたか?

 

今日は私が子どもの頃のクリスマスの思い出。 もう40年以上前の話。「モミの木がやってきた編」と「カナダから来た友人のお家編」の二本立てで書きます。

 

当時の写真はパソコンに入ってないので、近年とったお気に入りを載せています。

 

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“A Christmas scene in Tokyo ” Taken by fiiney

  

うちにモミの木がやってきた

 今でこそ「郊外」なんてお洒落な名前で呼ばれているけれど、当時は夕方になるとうっすらと薪を燃やす匂いが漂うような「田舎」だったウチに、ある日モミの木がやってきた。

 

植物好きの父がどこかから手に入れてきたのだ。父の膝より少し高いくらいの、ちいさなモミの木。「これがクリスマスツリーになる木だよ」と言って、父は庭の隅の方にそれを植えた。「あんまり強い光が当たっちゃいけねぇんだ。これは」

 

クリスマスの日、父が「よっこらしょ」とモミの木を掘りだして鉢に植え変え「どっこいしょ」と部屋にあげました。父の仕事はそれで終わり。

 

私達は、当時それしかなかったであろう、赤、白、緑に光る先のとがったライトをくるくると枝に巻き、モールでできた赤いサンタクロースをひっかけたり、フワフワの白い綿をぽってりと乗せたり。

 

 

プレゼントもターキーもキチンもなし、普段の食事の後に不二家のケーキを食べるくらいのクリスマスだったけれど、そのキラキラしたライトとモミの匂いに、こどもながら変わりつつある時代を感じていました。

 

アメリカから金色の天使もやってきた

ある年、父が会社の方からアメリカのお土産に「クリスマスの天使」をもらってきた。シックな茶色い箱に入っている、組み立て式のベル付きキャンドルホルダー。

 

立てられた三本のろうそくの上の方に、ベルを二つ、そのまた上にぷっくりしたお腹をくねらせてラッパを吹いている天使を3体、取り付けるようになっている。

 

ろうそくに火を灯すと、天使がくるくると回って、お腹から下がっている細い棒でベルをチリンチリンと鳴らす。その音色は透き通った細い音で、まるでどこかで本物の天使がベルを鳴らしているよう。

 

私のクリスマスの思い出は、父のシャベルと、チラチラしたライトを巻きつけられた、少々不格好なモミの木と、アメリカからやってきた金色の天使たち。

 

静かで、小さなクリスマス。あんまり長くは続かなかったけれど。

 

そして大事件が起こる

ある年のクリスマス前「じゃあ、モミの木を入れようか」という父の言葉に、私は縁側から飛び降り、サンダルをひっかけて庭に出た。父は煙草を片手に長いシャベルを掴んで「ええと、どこだっけかな」なんて笑う。

 

私は心配してないフリを装って後ろから覗き見る。父はしばらく屈んで草をどけたりしていたけれど、やがて腰を伸ばして

「あれ、やられたなぁ」と言った。

 

「盗まれちゃったよ。ほら、掘ってある」

「違うとこに植えたんじゃないの」

「いや、ここだろうよ。穴がまだ開いてらぁ。見てごらんよ」

 

本当はもう分かっていた。何日も前から「モミの木」が見当たらないことに気づいていたんだもの。きっと父がどこか他に移しているんだろう、と願っていたのに。

 

当時のウチは門などなかったから( 近所の家にもなかった ) 入ろうと思えば誰だって庭に入れた。それにしても、クリスマスのモミの木を盗むなんて!

 

その事件以降、ツリーをどうしたか全く覚えていない。フェイクのものを買ったかもしれないけど、あの小さくて不格好なモミの木が、私の思い出の中のツリー。

 

「回る天使」の」方は、なんと10年ほど前に同じ型の物をあるショッピングモールで見つけました。箱は違っていたけれど、折りたたみ方も昔と同じ。

店主さんに聞いてみると「ああ、知っていますか!オリジナルの会社ではもう作ってなくて、これは中国製。でも同じものですよ」とのこと。

 

金属の端の処理なんかが、少し危険な感じすらする雑な作りもそのまま。

 

その新しいけど昔と同じ「回る天使」は今も毎年チリンチリンとベルを鳴らしています。(いつか写真をアップしたいです )

** 写真撮りました(*^-^*)

 

 

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回る天使のキャンドルホルダー

 

 

カナダから来たお友達のクリスマス

近所に越してきたカナダ人のお友達。近所と言っても、ある区域の居住区で、そこにはたくさんの外国人が住んでいた。( 私が初めて英語に触れたのもそこの住人さんから。)

 

彼女の妹さんは日本の学校になじめずアメリカンスクールへ編入。ということで、そのお友達の家族の中で日本語を話せるのは彼女 (” Nちゃん”と呼びます ) だけという状態。

 

Nちゃんは日本の学校生活を気に入って、好きな男の子さえできた。

お勉強やら、恋バナやらで、しょっちゅう遊んでいた私達。中1のクリスマスに、もう一人の友達とそのお家に泊まることになりました。

 

何度も遊びに行っていたので、もはやトイレには驚かない。今でこそ絵辞典や、高級ホテルで出くわすバスルームという部屋。初めは驚いたものです。

 

トイレが六畳くらいの大きさですからね。落ち着かないのなんの…。

 

トイレの話は置いて…クリスマス。

天井まで届くクリスマスツリーを初めて見る

みなさん、忘れてはいけませんよ、40年くらい前の話です。ほとんどの家では膝丈くらいのツリーに綿をのっけていた時代です。

 

Nちゃんのリビングには、文字通り天井まで届く巨大なクリスマスツリーがどしんと立っていました。暗い金色や銀色のボールと、むせかえるような香りに圧倒される。お父さんが暖炉の前にいて、作業しながらこちらに目をやり笑ってくれる。

 

「すごいね」と目を見開いていると、お母さんがやってきた。

「おぉ!今日はね、とっても大変な忙しい日なの。だからNと遊んででね。あとでチキンを買ってくるわ。あ!E ( 妹) も入れてあげてね。仲間外れにしないで」

「Sure」

 

すでに何人かの人が家にいるようだった。

その家には玄関が2つあって、1つは裏口みたいな作りで子犬のための段ボールがあったり、長靴やら、コートやらが置いてある。

 

そして、日本人の私にはどうみても「そこじゃないでしょ!」というところに、靴がいくつも脱ぎ捨てられていた。

 

玄関から上がって3、4歩いったところなのだ。まるで「あっ、やべ!靴ぬぐんだった」という感じ。Nちゃんもいつも靴のまま何歩か入る。

 

靴を脱ぐタイミングが自由なんだな、と思った。

 

 

ケンタッキーチキンをドン!と姉妹ゲンカ勃発

車寄せの真ん中の芝生で遊んでいるときに、お父さんが自転車の前カゴにケンタッキーの大きなバレルを乗せて、キィコキィコと帰ってきた。

それぞれみんな忙しいのだ。

 

「とにかく大変だから」先にこれを食べていてね、とお母さんがバレルをテーブルの真ん中に置いた。ドン!

 

生まれて初めてのケンタッキーフライドチキン。頑張って二本食べる。

 

さてそのあと、英語での喧嘩を目撃する。それまでも小競り合いは何度かあったけれどね。

 

NちゃんとEちゃん、私ともう1人の日本人の四人で、けっこう楽しく遊んでいたと思っていたのに、Eちゃんが不機嫌になった。

 

全部英語の上、感情的だし早いしでよく聞き取れない。それでも何かぴりぴりする雰囲気があった。

Why you….

I didn’t mean…

泣きだしそうなEちゃんと、冷静なNちゃん。そしてテレビでよく見るあのやり取りか始まった。

No, I didn’t !

Yes, you DID !

No, I DIDN’T !

YES, YOU DID !

 

また Why you… I got.. You had…くらいしか聞けない猛スピードの言い合い。You love the Japanese girls.というのも聞こえた。

 

そして最後にEちゃんが放った言葉は、今でもその勢いのまま覚えてる。

 

Because you hate me !!

( だってお姉ちゃんは私のこと嫌いだから )

 

少し心配になった私たちにNちゃんは「大丈夫。あとで話すから。今は何を言っても聞かないもん」と言った。

 

きっとEちゃんは、お姉ちゃんを日本のお友達に取られるような気がしていたのだろう。

 

自分がなじめなかった日本の学校でお姉ちゃんは楽しく過ごしている。クリスマスに泊まりに来るような友達まで作って、自分に分からない日本語で話もする。

 

小さな子どもには辛かったろう。

 

何十人もの人が集まるパーティーと静かな朝

その夜は賑やかだった。私達はシーツと布団をNちゃんの部屋に運んで、あとは自由にしてよしと言われた。

リビングでは4~50人ほどの人であふれかえり、ガチャガチャとナイフやフォークの触れ合う音や、暖炉のぱちぱちいう音、楽しそうな笑い声があちこちであがった。

 

何度も玄関の戸が開いて、冷たい空気が入る。

 

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A Christmas scene

 

私たちはシーツにくるまり、Nちゃんが好きな男の子に告白する手順を練っていた。彼女は男の子を呼び出す役を、私達でなく、クラスで一番強い女の子に任せたいと言った。

「そうしたら絶対、断われないでしょ」と。

 

女の子は、今も昔も変わらないね。

 

次の朝、大勢の人であふれかえっていたリビングはしんとして、大きな窓から外の雑木林が見えた。

 

私達はご家族と一緒に朝食を食べて ( どんなだったか全く覚えていない ) カナダのお家の様子を写したホームビデオを観た。

雪でおおわれた街の様子が映し出されると、みんなが口々に感想を言い合っていて、その様子が嬉しかった。

 

Eちゃんが元気に笑っているのが。

 

その後、最後にもう一つびっくりしたのが、洗い物を任されたときのこと。

Nちゃんがかるく「OK」と言って立ち上がり、キッチンに私達を連れていって開けたのが「ディッシュ・ウォシャー」。

今の食洗器ね。

 

「ここにお皿を運ぶから手伝って」

初めて見たディッシュウォッシャーは、洗濯機のようでした!

 

 

まとめ: 心に残るクリスマスを子どもに

以上、これが私の子どもの頃のクリスマス。今とはずいぶん違うようで、あんがい子ども目線で見たら、今もたくさんの驚きがあるのでしょうね。

 

あのとき初めて食べたケンタッキーチキン。何年か後には友達が何人もアルバイトしだしたし、ほんの何年かで、街にクリスマスソングが流れだして、大きなツリーが店先に飾られるようになった。

 

それからバブル突入後は、みなさんも( ? ) 知っての通り、クリスマスは狂乱と言ってもいいほどの盛り上がり。” Last Christmas ” のMVのとおりロッジを貸り切ったり…

 

今は、どんなクリスマスなのかな。

 

楽しいばかりではなかったけれど、クリスマスが好き。

 

英語を教え始めて、年間行事のひとつのように位置づけてしまいがちですが、子どもたちが「クリスマス楽しかったなぁ」と思い出してくれるような、人間味あふれる ( 笑 ) 時間にしたいと思っています。

 

 少し悲しかったり、驚いたり、大変だったり。

無理やりに、Bing Crosby の歌をうたったりね!

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

 それではまた。

 

子ども向けクリスマスソングの記事はこちらです。↓

 

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